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はじめに
昨今の物価上昇は、企業活動や日常生活のあらゆる場面に影響を及ぼしています。建設資材についても、急激な高騰局面こそ一定の落ち着きを見せつつあるものの、総じてみれば依然として高水準で推移しており、価格上昇圧力が解消されたとは言い難い状況にあります。建設工事は、契約締結から完成までに一定の期間を要することが多く、その間に資材価格や労務費、物流費などの前提条件が変動しやすいという特性があります。そのため、契約時点の見積金額がそのまま工事完了時まで妥当し続けるとは限らず、価格変動リスクをどのように見積・契約に織り込むかが、従来以上に重要になっています。
今回は、こうした物価上昇が工事見積にどのような影響を及ぼすのか、また、その影響を見積および契約実務にどのように適切に反映させるべきかについて解説します。
資材高騰対策の趣旨
建設業法の改正は2024年から段階的に施行され、2025年12月に全面施行となりました。そのうち、資材高騰への対応に関する規定は2024年12月より施行されています。
建設資材価格は依然として高水準で推移しており、その負担は取引構造上、下請業者に偏在しやすいと指摘されています。資材価格の上昇分を十分に価格転嫁できない結果、労務費を抑制することで吸収せざるを得ないケースも少なくありません。
今回の改正法は、下請業者の適正な利益確保を重要な目的の一つとしていますが、その趣旨はそれにとどまりません。資材高騰の負担が労務費へと転嫁され、建設業従事者の労働環境が悪化する事態を防止することも、大きな政策目的とされています。建設業においては、適正な利潤が確保されなければ、将来の人材確保や技能承継、安全対策にも影響が及びかねません。価格転嫁の不全は、単なる当事者間の採算問題にとどまらず、長期的には現場の品質確保や業界の持続可能性にも関わる問題として捉える必要があります。
このような問題意識のもと、改正法では主に次の措置が講じられました。
(2)契約書への価格変動時の変更方法(いわゆるスライド条項)の明記義務
(3)資材高騰時の契約変更協議に対し、注文者が誠実に応じる努力義務
以下、それぞれの内容について順に検討します。
契約前における「リスク情報(おそれ情報)」の通知義務
受注者(建設業者)には、契約締結前に、請負代金や工期に影響を及ぼすおそれのあるリスクについて、あらかじめ注文者へ通知する義務が新設されました。
本義務は契約締結前の段階で課されるものであり、見積作成時点で合理的に予見し得る事項が対象となります。したがって、あらゆるリスクを網羅的に予見することまで求められるものではありません。他方で、契約前に認識していた、通常の注意を尽くせば認識し得たにもかかわらず通知しなかった場合には、法の趣旨に反する対応となる可能性があります。
「代金や工期に影響を与えるおそれのある事象」としては、例えば次のようなものが考えられます。
- Aメーカー工場で火災が発生し、資材変更の必要が生じるほか、材料単価の上昇や納期遅延が見込まれる場合
- B国の政治不安や円安の進行により、輸入資材価格が高騰し、請負代金の変更が必要となる可能性がある場合
- Cメーカーからの値上げ通知があり、見積金額に影響が生じる場合
- D地域における専門技能者の需要増加により、人件費の上昇が見込まれる場合
これらはいずれも一例にすぎませんが、契約締結後の紛争を未然に防止する観点から、事前に情報共有しておくことが重要です。
また、国土交通省の調査によれば、下請次数が深くなるほど契約変更条項を定めていない契約が増加する傾向があり、二次下請以降では相当割合が契約変更条項を設けていないとされています。改正法の趣旨を踏まえると、受注者としても通知義務の内容を適切に理解したうえで、注文者に対し契約条項整備の必要性を丁寧に説明し、実務に落とし込む姿勢が求められます。
価格変更方法の明記義務
契約締結後に価格を変更すべき事態が生じた場合に備え、価格変動時の変更方法(いわゆるスライド条項)を契約書に明記することが求められています。
建設業法上は、「価格等の変動又は変更に基づく工事内容の変更又は請負代金の額の変更及びその額の算定方法に関する定め」を記載することとされており、紛争予防の観点からは、具体的な算定方法まで明確に定めておくことが望ましいといえます。
一般に、スライド条項には、自動スライドと協議スライドがあります。
自動スライドでは、あらかじめ次の事項を定めます。
- どのような場合に(例:資材価格が一定割合以上変動した場合)
- どのような手続で(例:所定期間前に協議を申し出る)
- どのように金額を算定するか(例:公的統計指数を用いる)
協議スライドでは、一定の価格変動が生じた場合に、協議のうえ変更額を決定する旨を定めます。
いずれの方式を採用するにせよ、重要なのは、価格変動リスクの所在と調整プロセスを契約段階で可視化しておくことです。これにより、将来的な紛争リスクの低減につながります。とりわけ民間工事では、価格改定の場面になるまで具体的なルールが意識されていないことも少なくありません。しかし、実際に資材価格が上昇してから協議を始めると、当事者の利害が鋭く対立しやすく、冷静な合意形成が難しくなります。だからこそ、契約締結時の段階で、どのような事情が生じた場合に、どの資料を基礎として、どの範囲で見直しを行うのかを定めておく意義は大きいといえます。
契約変更に誠実に応じる義務
2024年12月施行の規定では、発注者にも新たな義務が課されました。
契約締結時から状況が大きく変化した場合に価格を変更し得ること、ならびにその改定方法を契約上明示しておくことが求められる一方、発注者が協議に応じなければ制度は実効性を持ちません。そこで改正法は、価格変更協議に対し、発注者が誠実に応じる努力義務を負うことを明確化しました。民間工事では努力義務にとどまりますが、公共工事では協議に応じること自体が法的義務とされています。また、契約締結後に生じた事情について事前通知がなかった場合であっても、そのことのみを理由に協議を拒むことは適切ではありません。発注者には誠実な対応が求められ、価格変更を受け入れない場合であっても、その理由を具体的に説明する姿勢が必要です。
他方で、受注者側にも十分な準備が求められます。価格変更の根拠となる客観的資料やデータを整備し、合理的な算定過程を示したうえで協議に臨むことが、実務上きわめて重要です。単に「厳しいので上げてほしい」と申し入れるだけでは、相手方の理解を得ることは容易ではありません。見積時点の単価、直近の仕入価格、メーカーからの通知、公表統計、現場への影響などを整理し、価格変動がどの部分にどの程度及んでいるのかを説明できる状態にしておくことが、実効的な協議の前提となります。
おわりに
資材高騰の影響は、特定の当事者のみで吸収できるものではありません。契約当事者のいずれか一方に過度な負担が集中すれば、取引の持続可能性は損なわれ、ひいては品質の低下や人材流出といった形で、業界全体に影響が及びます。
今回の制度改正は、単なる価格調整ルールの整備にとどまらず、価格変動リスクを適切に分担し、透明性の高い協議プロセスを通じて公正な取引関係を構築することを目指すものといえます。発注者にとっても、受注者にとっても、契約段階でのリスクの可視化と、根拠に基づく説明責任の徹底は、経営リスク管理の一環として位置付けるべき課題です。
物価変動が常態化する時代においては、「価格は固定的なもの」という従来の発想から、「合理的な条件のもとで調整され得るもの」という前提へと意識を転換する必要があります。適切な見積、明確な契約条項、そして誠実な協議という三つの要素を実務に定着させることが、建設業界の労働環境の改善と持続的な発展を支える基盤となるでしょう。
・総合資格navi「2025年12月全面施行「改正建設業法」3つのポイント【国土交通省】」
・国土交通省 不動産・建設経済局 建設業課「改正建設業法について~改正建設業法による価格転嫁・ICT活用・技術者専任合理化を中心に~」
1981年北海道釧路市生まれ。新日本監査法人(現 EY新日本有限責任監査法人)監査部門にて製造業、小売業、情報サービス産業等の上場会社を中心とし た法定監査に従事。また、同法人公開業務部門にて株式公開準備会社を中心としたクライアントに対する、IPO支援、M&A関連支援、デューデリジェンス等のFAS業務に数多く従事。2008年に汐留パートナーズグループを設立、代表取締役社長に就任。2009年グループCEOに就任し、公認会計士・税理士・弁護士・社会保険労務士等のプロフェッショナル集団を統括。公認会計士(日本/米国)・税理士・行政書士。北海道大学経済学部卒業、慶応義塾大学大学院経営管理研究科(EMBA)修了。











